こんにちは、スタッフのトモです。
「駅の見える風景」という作品が載ったポス
トカードが出てきました。貴重な達郎さんの
文章も掲載されており、その部分は切り離せ
るように作られているので、このブログに記
載しておきます。
作風から見て、おそらく90年代前後に作られ
た物かと思います。
今回はそれらと、山本美術館のもっと深い話、
密かに僕が思っているオモシロさについて書
いていきます。
「駅の見える風景」
或る日、山陰線の嵯峨駅周辺を散歩する。
名所、旧跡の点在する土地柄なのに、駅前の
通りには観光客目あてに営む店はほとんどな
く、日常生活に結びついた商いをしている店
が多い。風流な家屋の料亭、銭湯、小さなビ
ルの地方銀行支店、石材店など新旧の建物が
混在してひっそりとした町並を形成している。
何の目的もなく嵯峨駅から下りの列車に乗る。
亀岡駅で通勤の人達の集団、園部駅では高校
生の集団が下車して車内は空席が目立ち、ゆ
ったりとした気持にはなったが、ただ窓の外
をながめていることも無意味に思え綾部で下
車。嵯峨駅まで戻る。駅前の川魚専門店の水
槽には小アユが泳ぎ、淡水魚独特の匂いが鼻
をつく。店員さんが大きなコイをあらいにす
る包丁さばきをしばしばながめる。銭湯帰り
の若い女性が書店で立ち読みしている。生活
している人々が織りなす風景を旅行者のよう
に外からながめているのが好きである。夕刻、
帰宅する。 (洛西)
山本美術館の日常風景
今日は、生活している人々が織りなす風景を
旅行者のように外から山本美術館をながめて
みようと思う。
ブログも数回目なので、山本美術館の始まり
の少し深い話から書いていきたい。
充子さんの話では、山本達郎は元来好きだっ
たアルコールへの依存がひどくなり2010年頃
より認知症の兆候がみられ、その後家庭内暴
力へ発展した事が原因で現在は精神病院に入
院している。
当初、DVを受けていても入院させる事などは
せず拒んでいたが、心配になった旧友のみど
りさんが東京から様子を見に来た際、みどり
さんへも暴力を振るい、説得により入院させ
る事になった。
充子さんの入院への葛藤は今でも続いている。
この葛藤は、今回の入院が初めてではなく、
以前の入院先の監獄のような場所で全身を拘
束された達郎さんの様子に心が痛かった事、
そもそも病気という概念に対しての充子さん
の思想や医学に対する懸念、そして自分の手
で見守りたいという自責の念によって。
それは今からわずか数ヶ月前の出来事で、充
子さんが心身ともにボロボロだったのは言う
までもなく、それからみどりさんとの二人暮
らしが始まり、山本美術館はオープンした。
二人はいい距離感を保ち、野菜メイン者と肉
食メイン者だが楽しそうに過ごしておられる。
僕は密かに、山本美術館としてのオモシロさ
はこの二人だと思っている。
「ここは町屋で風呂が無いから、お風呂掃除
しなくていいから楽で良いわ」と言ってみど
りさんは笑っていた。東京から荷物を抱え出
て来て、70歳を越えてからの新しい土地での
生活の中でそんなポジティブな事を自分は70
歳になった時に言えるだろうかと考えた事が
ある。
山本美術館には、近所の人がフラッとやって
くる。元住職が空の一升瓶を持ってくる。充
子さんがそれを受け取って瓶の回収日に出し
ておく。別の日に彼は実家から送られて来た
食べ物を持ってくる。
元々染色家だった充子さんに、染めて欲しい
と服を持ってくるおじさんもいる。
僕自身、何度もご飯をご馳走になっている。
全くGDPに勘定されない温かい経済が回って
いたりする。
日本はこれから超高齢化社会になっていく。
山本美術館は単なる美術館ではなく、その在
り方にも注目されるべき場所かもしれない。
〝生活している人々が織りなす風景〟の奥に
は、様々な生活の中の問題や暮らしがある。
今回、DVの事を書きました。読者の方で驚
かれた方もいると思う。
充子さんは葛藤の中で前向きに生きている。
前を向いて生きようと踏み出した一歩が小さ
な山本美術館という場所です。
小さな一歩ですので、是非お気軽にフラッと
お越し下さい。
達郎さんと充子さんのこと、そしてみどりさ
んの事や美術館の事をまた書いていこうと思
います。
では、また。
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